太田市別所町の十二所神社。

十二所神社4
十二所神社
前回の円福寺同様、茶臼山古墳上にある。円福寺が前方部、この十二所神社が後円部。

十二所神社 (2)
十二所神社 (3)
本殿には16体の神像が安置されており、5体には正元元年(1259年)の銘がある。創建年は不明であるが、付近に散在した十二の末寺を円福寺に寄せ、各寺の本尊をここに合祀して十二所神社としたとの伝承がある。

円福寺の創建が寛元3年(1245年)ころと推定されるので、正元元年(1259年:神像の銘)の創建でいいところでは。

ちょっと話しがそれるけど・・・。
円福寺開祖の新田政義は実はとんでもないやつで。寛元2年(1244年)京都大番役時に幕府に無許可で朝廷に昇殿と官位を無心し、断られると今度はまた幕府に無許可で勝手に帰郷し出家してしまった(出家するので円福寺を創った)。

妻の実家である足利氏の取り成しがあったので所領総没収にはならなかったが、これにより新田氏の没落は決定的となってしまった。

まあ政義の心中を代弁すれば、源氏の本宗家は既になく(実朝は建保7年(1219年)に暗殺されている)、北条ごときが大きな顔しやがって。オレは源氏の本流だ!って感じだったんだと思う。

義貞が鎌倉幕府を滅ぼし、新田氏が世に再浮上したのは、これから約90年後のことである。再浮上も一時だったけどね。