太田市細谷町の高山彦九郎記念館。

高山彦九郎記念館 (7)
高山彦九郎記念館 (2)
延享4年(1747年)に上野国新田郡(現太田市)に生まれた彦九郎は、13歳の時に太平記を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳で書置きを残して家を出て、京をはじめ諸国を廻り勤皇論を説いた。

高山彦九郎記念館 (3)
太平記に自分の先祖が新田義貞の部下で、南朝に殉節したことを知り尊王の大義に目覚めたらしい。

高山彦九郎記念館 (5)
京都・三条大橋のたもとにある、御所に向かい伏拝している彦九郎の銅像の写真・・・の写真。決して土下座をしているわけではない。

高山彦九郎記念館 (4)
高山彦九郎記念館 (6)
彦九郎は膨大な日記を残している。その日記に記された旅先は、蝦夷地(北海道)と四国を除く日本全国に及んでいる。旅道具も展示してあった。

高山彦九郎記念館 (1)
彦九郎は寛政5年(1793年)筑後国久留米(福岡県久留米市)で自刃して果てている。徳川幕府を批判し王政復古を唱えていたが、果たせずの憤死とも言われている。写真右の手紙に、どす黒い汚れのようなものが見られるが、彦九郎の血痕だと言う。

彦九郎の思想は、長州の吉田松陰に大きな影響を与えたと言われている。ちなみに、吉田松陰の号「松陰」は、彦九郎の諡(おくりな)「松陰以白居士」からきているとの説も一部にあると、記念館の方から聞いた。

長州の高杉晋作、久坂玄瑞、土佐の中岡慎太郎らが、この地を訪れている。

彦九郎の死から75年後に、王政復古、明治維新が成し遂げられている。