館林市下早川町の雲龍寺。

足尾銅山鉱毒事件で、公害闘争の先駆者となった、田中正造のお墓がある。

雲龍寺 (1)
雲龍寺 (2)
天分22年(1553年)に早川田氏家臣により創建された曹洞宗の寺院。雲龍寺は「日本公害の原点」といわれる、足尾銅山鉱毒事件で田中正造や被害農民らの運動の拠点となった。

田中正造は天保12年(1841年)、現在の栃木県佐野市に生まれる。明治24年(1891年)衆議院議員だった正造は、第2回衆議院議会で鉱毒問題に関する質問を行ったのを皮切りに、鉱毒事件に深く関わっていく。

明治33年(1900年)、被害農民と警察隊が衝突した川俣事件後の国会質問は、日本の憲政史上に残る大演説と評されている。明治34年(1901年)には、明治天皇への直訴に及んでいる。直訴そのものには失敗したが、無関心であった東京中が大騒ぎとなった。

雲龍寺 (3)
雲龍寺 (4)
正造は大正2年(1913年)支援者宅で倒れ、その1月後に亡くなっている。享年73歳。

雲龍寺では、密葬が行われた。本葬は栃木県佐野市にある惣宗寺(佐野厄除け大師)で行われ、参列者は数万人といわれている。正造の遺骨は栃木・群馬・埼玉県の鉱毒被害地計6箇所に分骨された。このため、お墓は6箇所にある。

足尾銅山はその後も操業を続け、昭和48年(1973年)に閉山となっている。