館林市尾曳町の旧秋元別邸。
最後の館林藩主・秋元家の別邸として、明治末期に建てられた。時の当主・秋元興朝(おきとも)と、その子・春朝が使用した。

旧秋元別邸 (3)
旧秋元別邸 (1)
木造平屋建て、入母屋、瓦葺き、庭園側がほぼ全面ガラスの引き戸で構成されている。

旧秋元別邸 (2)
離れの洋館は、昭和初期、東京の本邸から移築されたもの。

秋元家は、弘化2年(1845年)出羽山形から移封される。館林初代・志朝(ゆきとも)は、安政2年(1855年)の大地震を機に藩政改革を実施し、藩学求道館(のち造士書院と改名)を設置し文武を奨励するなどした。地元では評判の良い殿様のようだ。

秋元家は、総社藩主として、今の前橋市総社町付近一帯を治めていた(関ヶ原直後)時代も、天狗岩用水を引くという灌漑事業を行い、新田開発を推進し、地元領民から慕われていた。

ちなみに秋元家は、総社→甲斐谷村→川越→山形→館林と移っている。