甘楽郡甘楽町轟の鷲翎山宝積寺(ほうしゃくじ)。
ここには小幡氏歴代の墓所がある。

宝積寺 (1)
創建年代は不詳であるが、当初は南方の山の中腹に庵を構え、天寿庵と称していたらしい。境内には弘安3年(1280年)の石碑もあり、それ以前から開山されていたと推定される。

中世に入ると小幡領主・小幡実高が中興開基となり、宝徳2年(1450年)に再興し、小幡家の菩提寺とした。

宝積寺 (2)
宝積寺 (3)
宝積寺 (4)
本堂は寛政5年(1793年)に再建された寄棟、銅板葺き、桁行き11間の古建築で、開山堂の天井には狩野派によって天井画が描かれている。

宝積寺 (5)
本堂裏に小幡氏歴代の墓所がある。墓石は長い年月を経て塔心部の欠損や風化が進み、13代・播磨守顕高の他は、明らかではない。

小幡氏は平安時代の末期、武蔵七党の児玉党一族。秩父行高の子・行頼が郡司として上野国甘楽郡小幡を領し、小幡氏を称したのが始まるとされる。

小幡氏の流れをくむ豊前国(大分県)中津の小幡氏からは、小幡篤次郎が出ている。
(「学問のすすめの意外な事実 -甘楽町歴史民俗資料館-」参照。)