安中市磯部の磯明山松岸寺。

松岸寺 (1)
松岸寺 (2)
松岸寺 (3)
松岸寺 (4)
天歴6年(952年)の開基と伝えられる。これ以上の詳細は不明。

大野九郎兵衛の墓
ここには、林遊謙なる者の墓があり、これが赤穂藩士・大野九郎兵衛との伝承がある。

忠臣蔵では、大野九郎兵衛は私財を持って夜逃げした的な、赤穂の悪役に描かれている。塩田の開発により、赤字だった藩財政を立て直したとか、城明け渡し時に藩札を交換し、領民の当座の生活を守ったとかは、あまり語られていない。

なんで安中にお墓があるかというと、大石内蔵助の吉良邸討入が失敗した場合、安中に潜んでいた大野九郎兵衛が次の計画を持っていたからとか。

墓石には、「慈望遊議居士 寛延四年九月二十四日」とあり、寛延4年とは1751年。赤穂浪士の吉良邸討入が1702年なので、大野九郎兵衛はその後50年近く生きていたことになる。

大野の生没年は不詳であるが、没時70歳とすると赤穂事件の時20歳となり、若年で家老職を得ていたことになる。なので、信憑性はかなり低い。

大野の事件後の行方は諸説あるが、京都仁和寺あたりに住み、元禄16年(1703年)に衰弱死して、東山の黒谷に葬られたといわれている。