安中市東秋間の通称岩戸山に赤穂浪士47人の石像がある。

四十七士石像
四十七士石像 (2)
長野新幹線の安中榛名駅から榛名町方面へ向かっていくと左側の山。こんもりした木々の中に入り口があり、多少整備された山道を登って行く。

四十七士石像 (8)
四十七士石像 (7)
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森に入ってから100mくらい行くと、せり出した岩の下にずら~っと石像が並んでいる。よく見ると、一体一体の形が微妙に異なっており、47浪士それぞれを意識して造ったということが伝わってくる。

四十七士石像 (5)
これは、赤穂浪士のひとり片岡源五右衛門の下僕・元助が、20年の歳月をかけて造ったもの。しかし、すごい所に造ったもんだ。

元助は赤穂浪士切腹後、故郷の秋間に戻り、浅野長矩夫妻と47士の供養に残りの人生を費やした。

個人的には、忠臣蔵の逸話(吉良義央の浅野長矩へのいじめ)はすべて作り話と考えているので、吉良から見ればとんだ言いがかり。すべては浅野の短慮から始まっている。この辺は、機会があったら別稿で。

なので、安中市の各種表示は「赤穂義士像」となっているが、ここでは「赤穂浪士」と表記した。