高崎市吉井町吉井の文化会館の脇に、吉井藩陣屋の表門が移築・復元されている。

吉井藩陣屋の表門 (2)
吉井藩陣屋の表門 (3)
吉井藩陣屋の表門 (1)
吉井藩陣屋は現存しおらず、唯一表門が復元されている。間口5.8m、奥行2.47m、高さ5.37mで、控柱から架けられた梁によって切妻屋根が前方へ持ち出しになり、側面の姿が非対称形になっている。

鬼瓦に家紋の「丸に葉牡丹」が示され、屋根は軒反があったが、移築の際に直線屋根になった。板扉は矢弾を通さないといわれる「サイカチ」(豆科)が使われている。

吉井藩は、藩主の鷹司松平家が江戸定府だったため、陣屋の規模も代官を置く程度の小規模なものであった。吉井駅から高崎市役所吉井支所あたりにかけての町割りが、陣屋の名残を残しているらしい。

ちなみに吉井藩は、小藩ながら国主格に遇されていた。国主とは、領地が一国以上である大名を言う。江戸時代の大名を、その居地・居城から格付けすると、国主-準国主-城主-城主格-無城(陣屋)となる。

本来なら無城なのだが、藩祖・鷹司松平信清が家光・正室の縁者だということや、もともと公家の出身だということからかな。