多野郡上野村楢原の旧黒澤家住宅。

旧黒澤家住宅 (3)
旧黒澤家住宅 (4)
江戸時代、現在の上野村・神流町などは幕府の天領であり、黒澤家はその一部(神山郷)の大総代(大庄屋役)を努めた旧家である。

旧黒澤家住宅は、19世紀中ごろの建築と考えられ(18世紀中ごろとの説もあり)、間口22m、奥行き16mの総二階の切妻造り。屋根は簡単に手に入り、水に強い栗の木が使われている。

旧黒澤家住宅 (1)
旧黒澤家住宅 (2)
黒澤家には、玄関が3つある。代官等を迎えるための「式台」、村の行事等に使用された「村玄関」、家族などが日常的に使用した「大戸口」。これは、他に例が見られないもので、黒澤家の当時の役割がうかがえる。

旧黒澤家住宅 (9)
旧黒澤家住宅 (8)
囲炉裏のある「ちゃのま」は31畳半もある。また、主人の座る席の後ろには大きな神棚があり、城郭のような形をしている。

旧黒澤家住宅 (5)
西側には4つの座敷が並んでいる。幕府の代官等がこの地を訪れたときに使用された。「上段の間」「中段の間」「中の間」「休憩の間」。「上段の間」と「中段の間」の境にある欄間は、両面の絵柄が異なるなど、隅々にきめ細やかな意匠が施されている。

旧黒澤家住宅 (6)
旧黒澤家住宅 (7)
2階は仕切りのない広い板の間で、養蚕のために使われていた。現在は、養蚕・機織り・紙漉き・生活(畑仕事・炭焼き等)に分けて民具などを展示している。

当時、上山郷には鷹の保護地区があり、毎年将軍家に「鷹狩り」の巣鷹を献上していた。黒澤家は代々、その御林守として御巣鷹山の管理にも当っていた。