高崎市箕郷町和田山の極楽院跡。正式には和田山極楽院清涼寺。

極楽院跡 (1)
極楽院は箕輪城主・長野業正の開基、良雲法印の開山と伝わる。創建年は不詳だが、弘治から永禄4年(1555~1561年)あたりかな。永禄4年は業正の没年。その後、京都聖護院直系の関東における主要な修験道場となっている。

箕輪落城時、長野業盛(業正の嫡男)の一子・亀寿丸(2歳)が家臣とともに落ち延びて、極楽院に匿われたとされる。

極楽院跡 (2)
理由は不明だが明治6年(1873年)に廃寺になっている。年代的に廃仏毀釈の影響かな。不完全形だが、今も多くの宝塔などが残っている。五輪塔の中に康永3年(1344年)のものがあるので、極楽院創建以前からなにがしかの施設があったのではと思われる。

極楽院跡 (3)
極楽院跡 (4)
亀寿丸が極楽院に匿われているとの噂を聞いた信玄が極楽院を訪れた際、鞭として使っていた梅枝を地面に逆に挿したものが芽吹いたとされる「さかさ梅」。

根回り2mを超え(伝承通りなら樹齢は約450年になる)、紅を含んだ八重咲きの花はみな下を向いて咲くらしい。これは信玄に対応した良雲が「花は逆さに咲かせましょう」と、暗に亀寿丸は仏の道で生涯を終わらせることを約束したためとされる。

このためか、信玄は亀寿丸を見逃している。まあ「居場所は分かっているから、刃向かえばいつでも始末するぞ」との警告込みだろうが。後に信玄は極楽院に対して「安堵状」を発行し庇護している。

ちなみに、亀寿丸は後に出家して鎮良と名乗り極楽院2代目の院主となり、慶長12年(1607年)46歳で没したとされる。永禄9年(1566年)の箕輪城落城時2歳だとすると、46歳ってのは合わないけど・・・。

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