高崎市箕郷町西明屋の長中山妙福寺。

妙福寺 (1)
妙福寺は長野氏がまだ長野郷(現在の浜川町周辺)に居住していた頃、祈願所として創建したとされる。長野氏が箕輪城を築城し箕輪に移ると、戦国大名として名を成した業正が箕輪城の裏鬼門にあたる当地に移している。

箕輪城は永正9年(1512年)長野業尚の築城とも、大永6年(1526年)業尚の子・信業の築城ともいわれる。なお業正は信業の子とされるが、長野氏の系譜ははっきりしない。

妙福寺 (2)
妙福寺 (3)
「鬼子母神を祀り、毎年11月12日に行われる『子育鬼子母神大祭』では、参道に露店が立ち並び、多くの人で賑わいます」と高崎市のHPにあったが、ご本尊は釈迦牟尼仏と群馬郡誌にはある。

鬼子母神を祀るようになった経緯は分からないが、群馬郡誌は鬼子母神について一切触れてないので、群馬郡誌刊行(大正14年:1925年)以降のことと推察される。

妙福寺 (4)
境内のしだれ桜。

妙福寺 (5)
妙福寺 (6)
石祠内に仏像らしきものが見えたので覗いてみたら、弁天さまのようだ。

妙福寺 (7)
妙福寺 (8)
本堂左(南)の庭園は忠臣蔵で有名な堀部安兵衛の設計・築造とされる。上毛三山を模し、池泉が配されているとのことだが、それっぽくない。後に墓地用地として削られてしまった?

同じ箕郷町の旧下田邸にも堀部安兵衛設計・築庭とされる庭園が残されている。
(「堀部安兵衛の設計・築造の庭園 -旧下田邸書院&庭園-」参照)