前橋市総社町総社の熊谷稲荷神社。

熊谷稲荷神社 (1)
熊谷稲荷神社 (2)
熊谷稲荷神社は宝暦6年(1709年)、熊谷(埼玉県)の稲荷神社の分霊を勧請したといわれる。それ以前から神社があったようだが詳細は不明。

熊谷稲荷神社は大小路古墳(総社7号墳)の墳丘上に建つ。大小路古墳は直径約20m、高さ2mの円墳。

熊谷稲荷神社 (3)
社殿は光巌寺東北の紅葉山の日枝神社を移築したといわれ、桃山時代の様式をもつ。

熊谷稲荷神社 (4)
昭和2年(1927年)銘の絹笠大神。

熊谷稲荷神社 (5)
多数のお地蔵さん(?)。風化していてよく分からない。

創建にまつわる逸話を少し。
寛永10年(1633年)に総社藩主・秋元泰朝が甲斐谷村へ移封となり、総社藩は廃藩となった。その後は高崎藩(安藤重長)の領地となり、安藤重長は3男・重富(重常とも)に総社を与え、重富は高田弥兵太を代官として総社を管理させた。

重富、高田は重税を課したため農民は困窮し、遂には宝暦6年(1709年)幕府への直訴に及んだ。その際、直訴代表は捕らえられたが、熊谷の稲荷神社で祈願したところ、訴えが認められ死罪も免れることができた。これらは稲荷神社のご加護によるとし、稲荷神社を勧請し熊谷稲荷神社と改称したという。

訴えが認められた裏には、老中・秋元喬朝(泰朝の子・富朝の養嗣子)の援助があった。秋元氏は藩主時代の善政も含め、総社に於いて崇敬されている。