高崎市下小鳥町の幸宮神社。

幸宮神社 (1)
幸宮神社 (2)
幸宮神社は応永年間(1394~1428年)に魚取神社として創建したと伝わる。上野国神名帳に記載される「魚取明神」は当社とされる。

鳥居は正徳2年(1712年)の建立で、石造鳥居としては高崎市内でも古い部類に入る。

幸宮神社 (3)
幸宮神社 (4)
幸宮神社 (5)
幸宮神社 (6)
社殿は明和5年(1768年)に焼失の記録が残る。その後、安永8年(1778年)、寛政7年(1795年)に再建されているようだ。平成28年(2016年)には社殿や境内含め、大改修が行われている。

なお、社殿が鎮座しているのは「六郷村6号墳」の墳丘上になる。6号墳は全長36mの前方後円墳との記録が残るが、ほぼ開削されているようで遺構はなさそうだ(素人目には分からない)。多分、隣の下小鳥公民館の敷地と合わせると、記録くらいの領域になると思われる。

幸宮神社 (7)
境内にある石祠には応永17年(1410年)の銘があり、「御本宮」(創建時の祠)とされる。これは上記由緒を裏付けるものである。

幸宮神社 (8)
幸宮神社には高崎市の重文に指定されている算額が残されている。文政7年(1824年)の奉納で、奉納者は山田詮左衛門ほか15人。社殿内に保管されているため、日ごろは見ることが出来ない。

ところで、タイトルの「山幸彦を祀る旧魚取神社」っておかしくない? と感じるかもしれないが、幸宮神社のご祭神の一柱に彦火々出見命がおられる。これは山幸彦で知られる。旧名「魚取神社」から想像するに、兄の海幸彦(火闌降命)がご祭神ならすっきりする。海幸彦は釣針を持ち、魚を捕るのが得意。創建時は海幸彦がご祭神だった? それとも両神ともご祭神だった?

幸宮神社と名称変更された時期は分からないが、「幸」を持っている神の宮と思われる。この「幸」は海幸彦の釣針、山幸彦の弓矢を言う。