伊勢崎市東小保方町の頼光塚。
頼光塚は鎌倉後期から南北朝期の造立と推定される凝灰岩製の笠塔婆。笠石はなく、形状も後世の改変加えられている部分がある。
総高70cmで、薄肉彫りの蓮華座に乗る如来が刻まれている。斜めに大きく割れており、これにまつわる伝承が残されている。
「昔、この塚の脇の道に馬に乗った武者が毎晩現れ、通行人を脅かしていた。ある晩、松島利太夫というものがここへ来て武者の現れるのを待った。しばらくすると武者が現れたので、利太夫は太刀をひらめかせて斬りかかり、武者を斬り捨てた。それきり音もなく武者の姿は消えていた。翌朝になると、そこにはひとつの斬られた石だけが残っていた」
少し離れて見ると盛土になっているので、元々「頼光塚」は墓の名称だったのではないかと思う。つまり笠塔婆は墓標的な意味合い。それがいつの頃からか、笠塔婆を頼光塚と呼ぶようになった(勝手な推定)。
個人的には「頼光塚の上に建つ割れた笠塔婆」だと思うが、どうだろう。
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