甘楽郡下仁田町上小坂の中之嶽神社。

中之嶽神社 (1)
中之嶽神社 (2)
中之嶽神社は欽明天皇の御代(539~71年)に妙形氏が創建したといわれる(公式サイトより)。妙形氏について分からないが、なんとなく「妙義」を思い浮かばせる。

北甘楽郡郷土誌(大正6年:1917年)には白鳳2年(674年)の創建とある(天皇で言うと天武天皇)。日本武尊が東征のおり山中に住む賊を成敗し、また弟橘姫を偲び追想の情を発したのを見て、村人が武尊大神と称し社宇を建立したといわれる。

寿永2年(1183年)には藤原祐胤が宝剣を献納している。剣は現存し、神宝となっている。

元和2年(1616年)、北条氏家臣であった加藤長清(妙義山の岩穴に長く住んでいたといわれる)が、神殿・社殿を再築し金洞山巌高寺という巨刹を創建している。この際、弘仁9年(818年)創建の大国神社(大黒天)を前宮、武尊大神を奥宮と位置づけた。

その後、幕末に山火事により被災。そのまま明治維新・神仏分離を経て、中之嶽神社、境内社の大国神社の関係になっている。公式サイトを見ると現在も、大国神社を「前宮」・中之嶽神社を「奥宮」としている。

中之嶽神社 (3)
中之嶽神社の象徴になっている「日本一の大黒様」。高さ20m、重さ8.5トン。平成17年(2005年)の建造。一般的に大黒様は小槌をもっているが、この大黒様は剣を持っている。不動明王と大黒様が融合したもの説、中之嶽神社の神宝が剣だから説などがある。

ただ厳密に言えば、境内社である大国神社(ご祭神は大黒天)に由来するものである。奉納者も大国神社氏子・崇敬者、甲子講中の方々。(中之嶽大国神社については別途書くよ)

中之嶽神社 (4)
中之嶽神社 (5)
社務所やお土産物店を過ぎると二ノ鳥居。公式サイトでは「中之嶽大国神社」の鳥居となっているが、扁額は中之嶽神社となっている。「前宮」「奥宮」の関係だから区別してないのかな。

中之嶽神社 (6)
中之嶽神社 (7)
ご神橋。下の沢(?)に水は流れていなかった。

中之嶽神社 (8)
中之嶽神社 (9)
社殿はこの急な石段の上。頑張って登ろう。

中之嶽神社 (10)
社殿までもう少し。後ろに見えるのは轟岩。

中之嶽神社 (11)
中之嶽神社 (12)
中之嶽神社 (13)
拝殿の建立年などは分からないが、先に書いた由緒から明治以降と思われる。拝殿後ろの「轟岩」をご神体としているので、拝殿のみとなっている。また、轟岩の下部にめり込む形になっている。

中之嶽神社 (14)
加藤長清の碑(長清道士の碑)。高橋道斎が厳高寺・慈海和尚の依頼を受け、安永7年(1778年)に撰文・建碑したもの。

長清は由緒にも書いたように巌高寺を創建した人物。妙義山中で剣の道に励んだ後、仏道を修行、晩年には仙人のような生活から不死の法(長生の法)を修め、148歳まで生きたといわれる。

まあ不躾な言い方をすれば、山中から出てこないんだから、生死も分からなかったんだと思う。気がついたと時の計算で148歳ってことかな。

ついでに、高橋道斎は下仁田出身の漢学者・俳人・書家。上野三碑のひとつである多胡碑(高崎市吉井町)の歴史的・書的価値を見出し広く世に紹介し、現在に至る多胡碑研究の起点となった人。(「高橋道斎の墓 -常住寺-」参照)

中之嶽神社 (15)
長清の碑は、長清の墓の側石碑とされる。近くに長清のお墓があるのかなと思い探してみたら、写真の石祠があったが、未確認だし自信もない。

中之嶽神社 (16)
中之嶽神社 (17)
下仁田町側から見える金洞山(1094m)は別名中之嶽と呼ばれる。中之嶽神社の名はそこから来ている。拝殿から先に進めば妙義山の登山道に入る。第1石門から第4石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・虚無僧岩などの岩石群は、日本屈指の山岳美とされている。