富岡市大島の北向観音。
大島北向観音は、大島地区西端の山腹に位置し「厄除け観音」とも呼ばれている。

大島北向き観音 (1)
大島北向き観音 (2)
いきなり「ケガ・事故については一切の責任は負いません」との案内板。多少ビビりながら坂道を登って行く。

大島北向き観音 (3)
確かにけっこう急な坂道。でも、そんなに歩くことなくお堂に到着する。

大島北向き観音 (4)
北向観音は弘仁5年(814年)弘法大師が東国を行脚した際、信州小県郡で桂の神木から3体の観音像を彫刻し、下野国・信州別所・大島にそれぞれ安置したのが始まりと伝わる。後の平安時代末、源頼義がお堂を建てたとも伝わる。頼義は八幡太郎義家の父。前九年の役、後三年の役などの道中で、頼義は上野国内に多くの足跡を残している。

大島北向き観音 (5)
大島北向き観音 (6)
大島北向き観音 (7)
大島北向き観音 (8)
現在のお堂がいつ建立されたかは不明だが、極彩のお堂となっている。海老虹梁が龍の透かし彫りになっているなど、全体的の精巧な彫刻が施されている。

大島北向き観音 (9)
大島北向き観音 (10)
お堂から少し下って、崖縁の狭い通路を行くと奥の院がある。奥の院は崖の窪地なのか、崖をくり抜いたのか分からないが、地上約20mの崖にめり込むように建っている。

大島北向き観音 (11)
毎年1月第2日曜日の例祭の日は、さきほどの通路から参拝者が崖下へ厄除けとして銭などを投げ、崖下では地域の子ども達がそれを拾う。そして家に帰る前に使うというのが慣わし。この銭投げの風習は、江戸時代初めころから行われており、約400年の歴史がある。

大島北向き観音 (12)
崖下から見るとこんな感じ。上から落ちてくる小銭を見つけるのも大変なような気がしないでもないし、万一当たったら痛そう。

大島北向き観音 (13)
奥の院からは貫前神社の鳥居が見える。

大島北向き観音 (14)
大島北向き観音 (15)
お堂の裏山側へさらに登って行くと上信越自動車道に行き着く。

大島北向観音は厄除けの他、安産・交通安全・家内安全・学業授受など、広く御利益があるといわれており、近郷のみならず遠方からの参拝者も多い。