高崎市吉井町多比良の新堀城跡。

新堀城跡 (1)
新堀城は多比良城とも呼ばれ、平井城(藤岡市)の別城であった。築城年代は不明だが、多比良氏の居城だった。多比良氏についてはよく分からないが、吾妻鏡に多比良小次郎の名が見えるので、鎌倉時代から当地に根付いていたと考えられる。

新堀城跡 (2)
現在は畑が拡がっており、素人のオレには遺構らしきものは見分けられなかった。

新堀城は平井城の背後を守る城であると同時に、関東管領・山内上杉氏の宝物を保管する宝物城であったとされる。永禄6年(1563年)の武田信玄の西上州攻略時に落城・焼失。

時の城主・多比良友定は「上杉家の宝物を信玄に奪われては末代までの恥。今日は北風が強いので火をかけて焼いてしまおう。自分は宝物が焼けるのを見届けて自害する」と言い火をかけたとされる。多比良氏方は全滅したと伝わる。

地元には、宝物に関する伝説が残っている。「朝日さす 夕日かがやく 楠のふもとに 小判千枚朱が千枚」との宝のありかを示すような歌が伝わっている。当時、大手門横に楠の大木があり、30日も焼け続けたといわれている。この楠(跡)の下に埋まっている?

また、堀の北西端の外に「殿様井戸」と呼ばれる古井戸があり、落城時に宝物を投げ込んだともいわれる。もちろん現在井戸は埋まっているが、今も水が湧き出ているという。

新堀城自体は、武田氏の後、織田氏(滝川一益)、北条氏と城主が変わったが、豊臣秀吉の北条攻め(天正18年:1590年)により廃城となっている。