高崎市新町の八坂神社。
新町八坂神社の創建は不詳だが、中山道の上野国玄関口にあたるため、疫病の侵入と蔓延を防ぐことを祈願して建立されたと伝えられる。
現在は小さな祠が覆屋の中に鎮座しているのみである。
八坂神社の脇に(境内かも)、「傘(からかさ)に おしわけ見たる 柳かな」の芭蕉の句碑がある。地元の俳人である小渕湛水と笛木白建が、寛政5年(1793年)から天保5年(1835年)の間に建てたとされる。
江戸時代、八坂神社の隣には「柳茶屋」と呼ばれた島田屋があり、旅人の憩いの場となっていた。「柳茶屋」と呼ばれたのは近くに柳の大木があったからで、そのため湛水らはこの地を選んで柳にまつわる句碑を建碑したと考えられる。写真は神社横に掲示されている当時の想像図。
句碑は「柳茶屋」の廃業(時期不明)とともに行方知れずになっていたようで、現在の場所に戻ってきたのは昭和29年(1954年)のことである。
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