藤岡市篠塚の与五郎殿。
前回紹介した篠塚神社の境内社である。
(「篠塚伊賀守重廣を祀る・篠塚神社」参照)

与五郎殿 (1)
与五郎殿 (2)
元赤穂藩士・神崎則休(通称与五郎)を祀る。由緒などは不詳。現在の祠は平成12年(2000年)の建立。

一般的には、与五郎は美作藩(現岡山県東北部)・森家家臣で、浪人後赤穂浅野家に仕官。浅野内匠頭の刃傷・改易後、吉良邸に討ち入りした47士のひとり。

当地に伝わる話は、与五郎は幼児期に中村(現藤岡市中)の農家に里子に来た。成長して赤穂藩浅野家に仕えたが、浅野家改易後は浪人となり里親の家に寄寓していた。そして元禄15年(1703年)吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたという。

浪人となり中村で時を待っている際、中村の名主から娘との縁談を勧められだが、頑として受け入れなかったという逸話もある。

どういう経緯で当地に神崎与五郎の伝説が残っており、さらには祭神として祀られているのかまったく不明だ。しかも、なぜ里子に来たという旧中村ではなく、隣の旧篠塚村なのか。