藤岡市本郷の葵八幡宮。
多野藤岡地方誌(昭和57年:1976年発行)に葵御前にまつわる伝説が載っていたので再訪した。(以前の訪問記は「葵御前を祀る? -葵八幡宮-」参照)

葵八幡2 (1)
葵八幡の由緒は不詳だが、葵御前を祀るといわれる。社の両側に板碑があり、向かって右のものに応長元年(1311年)の銘が読み取れる。大正時代に葵八幡宮の周りから多数の人骨が発掘されており、板碑はその墓標とのこと。

葵八幡2 (2)
いまでも墓石らしきものが残っている。ひとつには年代的には新しいが、江戸時代の享保(1716~36年)の文字が読み取れた。

葵八幡2 (3)
社の裏側に井戸があり、井戸の底のは四方に横室があるという。埋葬施設なのか。

前回の椿社神社(「文覚上人の創建? -椿社神社-」参照)に書いた、文覚上人が苦行した場所といわれるのが葵八幡宮の井戸付近といわれているので、この井戸のことかも。

で、ここからが「葵御前伝説」。
源義賢(木曽義仲の父)に従い東国まで来た葵御前は、当地で乳飲み子がはしかにかかり進退に窮し、橋の下に身を潜めていた。しかし追手に捕まり、郎党とともに惨殺され切り干しにされた(なんと無残な)。

葵八幡2 (4)
葵御前が隠れた橋は小石橋で葵八幡宮入口の堀にかかっているとあったが、現在は堀はなく境内にそれらしき石があった。「長さ5尺、幅4尺、厚さ8寸(約190cm✕151cm✕30cm)の1枚石」とあるので、ちょうど寸法的にはぴったりだ。

地元の人は、昔からはしかが流行するとこの橋の下をくぐり、病気が軽くなるのを祈ったという。

橋から2町(約450m)西方に、葵御前が乗ってきた牛が死んだので埋めたといわれる牛伏塚がある。と言うことだが、見つけられなかった。

ところで、伝説では葵御前は切干しにされたとあるが、付近では大根や甘藷(さつまいも)などを切干しにしない家訓が、現在も残っているという。