高崎市八幡原町の八幡山円福寺。院号は頼朝院。

円福寺 (1)
円福寺は江戸時代初期に円光寺と長福寺が合併し円福寺となっている。合併開基の乗慶法印の入寂は慶安4年(1651年)。

前回の「八幡原若宮八幡宮」でも書いたが(「高崎市八幡原町・若宮八幡宮」参照)、源頼朝が浅間山麓での巻き狩りからの帰途に病にかかり、当地を鎌倉になぞらえた土地にすれば病は治ると占いで出たため、八幡宮を勧請したら快癒したとされる。病に伏せった頼朝が休んだのが長福寺といわれる。浅間の巻き狩りは建久4年(1193年)なので、長福寺の創建はそれ以前となる。

円福寺 (2)
本堂は昭和4年(1929年)に火災で焼失、昭和13年(1938年)に再建されている。

円福寺 (3)
殿鐘には「西上州八幡山頼朝院長福寺願主法印乗舜」の銘がある。長福寺が八幡山頼朝院で、そのまま円福寺に引き継がれたことが分かる。

円福寺 (4)
円福寺 (5)
境内は庭園風に整備されており、一部の木には雪吊が施されている。まあ、この辺では余り雪は降らないと思うけど。

円福寺 (6)
境内の宝塔。享保15年(1718年)の銘があった。

円福寺 (7)
本堂裏には小さい円墳が残されている。

円福寺 (8)
円福寺 (9)
円福寺 (10)
円墳上には観音堂がある。観音様のいわれは分からないようだ。

円福寺 (11)
観音堂への石段脇には、多数の石仏が並んでいた。

明治末までは八幡原に「頼朝塚」と呼ばれる高さ4~5mの丘陵があり、丘上には古碑が建っていたという。その後、開墾され畑になったので碑は円福寺に移されている。と言うことなので探してみたが、見つからなかった。当時、既に碑文は読めないほど風化していたというので、見つけても読めないから分からないか。