高崎市あら町の吠瑠璃山延養寺。

延養寺 (1)
延養寺 (2)
延養寺は至徳年間(1384~87年)慶覚の開山で岩鼻村に創建。慶覚は足利尊氏が筑紫に逃れていた時の祈祷師だったといわれる。永禄4年(1561年)長野業政により箕輪城下に移転。慶長3年(1598年)井伊直政の高崎移転に伴い現在地に再移転している。

延養寺 (3)
延養寺 (4)
足利尊氏の守護仏であった薬師如来像(弘法大師作といわれる)を本尊としてきた。本堂は文政5年(1822年)の建立。

延養寺 (5)
境内の御伝馬事件供養碑。
文久2年(1862年)の大火により高崎城下一帯が大きな被害を受けた。高崎宿の伝馬は本町・田町・あら町が担っていたが、大火からの復興と伝馬業務の負担が重なり、あら町惣代が幕府に直訴に及んだ事件(御伝馬事件)。結果として刑死者こそ出なかったが、80人を超える町関係者が入牢などの処罰を受けた。このような経緯や、その後の復興内容などが記されている。

延養寺 (6)
羽鳥一紅の句碑。
一紅は下仁田の出身で、田町の絹問屋羽鳥家に嫁した俳人。

延養寺 (7)
延養寺には円空仏が寺宝として残されている。円空作と判明したのは平成6年(1994年)のことである。底面に梅の花が描かれていることから天神様(菅原道真)像とされる。円空作と判明する以前から寺宝となっていたのは、この像が足利尊氏像とされていたから。

富岡市黒川の不動堂にも、円空作の十一面千手観音像が残されている。
(「円空作の十一面千手観音立像 -黒川不動堂-」参照)