藤岡市藤岡の子育て地蔵尊。
藤岡市の従来の町名では宮本町なので、宮本町子育て地蔵尊と表記。

宮本町子育て地蔵 (1)
天正18年(1590年)に芦田(依田)康勝が佐久から藤岡に移封された際、芦田氏を慕った旧領民が地蔵菩薩像を背負って来たといわれる。

文政12年(1829年)にはお堂が建立されている。現在のお堂は明治初年のもの。

宮本町子育て地蔵 (2)
宮本町子育て地蔵 (3)
本尊の地蔵菩薩像は無銘だが、隣に並ぶ石像には文政3年(1820年)の銘とともに「岩邑田」と刻まれている。岩邑田は現在の佐久市岩村田のことだと思う。つまり芦田氏の旧領。

宮本町子育て地蔵 (4)
地蔵尊は「子育て地蔵」「夜泣き地蔵」と呼ばれ、子どもの夜泣きや虚弱体質などを治す御利益があるとされる。祈願する際は、ここから地蔵像を1体借り受け、子どもの成長が順調に進んで1年を過ぎると、同じような小型の地蔵像を借りた石仏と合わせ2体を返納するというもの。

この習慣は現在も残されており、そのため堂内には数多くのお地蔵さんが鎮座している。新しい像も目につく。

宮本町子育て地蔵 (5)
お堂外にも複数のお地蔵さんをまとめた供養塔(?)があった。

ところで、先に「文政3年 岩邑田」と刻まれていると書いたが、ちょっと不思議な気がする。芦田康勝は慶長5年(1600年)に不始末を犯し改易されており、以降藤岡市地域は幕末まで小領に細分されていた(芦田氏領ではない)。文政3年に再造仏されたということかも。