多野郡上野村乙父の天岩山泉龍寺。

泉龍寺 (1)
泉龍寺の由緒は不明。

泉龍寺 (2)
入り口右側に建つ庚申塔。この庚申塔は庚申の文字が100刻まれている「一石百庚申塔」と呼ばれるもの。上野村では唯一。高さ245cm、幅52cmで、江戸末の文久元年(1861年)の銘がある。

泉龍寺 (3)
入り口左側には閻魔大王像。

泉龍寺 (4)
永徳元年(1381年)から同2年にかけて書写された大般若経600巻の内、現存する599巻が所蔵されている宝物庫。ちなみに永徳は南北朝期の北朝の年号。南朝は弘和。

書写は金讃山大光普照寺(埼玉県神川町)などの僧の手により、現在の乙父神社に奉納されたもの。泉龍寺に移った理由は不明。後に100巻余りが焼失したが、江戸時代に複数回にわたり修復されている。焼失の修復なので再書写したということ。

泉龍寺 (5)
本堂脇にある木地師の墓。
高さ48cmの舟形で聖観音像が浮き彫りされており、幼児のものと言われている。上部に菊のご紋があしらわれている。

木地師の墓は同じく上野村の宝蔵寺にもある。
(木地師については「木地師の墓 -上野村・宝蔵寺-」参照)

木地師の墓は、塩ノ沢タルノ沢地内で発見され泉龍寺に移されている。地図で調べたら塩ノ沢って、相当山奥の方だった。木地師が職業がら山奥で生活していたことが分かる。