安中市中野谷の熊野山清元寺。

清元寺 (1)
清元寺は文禄元年(1592年)から慶長6年(1601年)まで当地を治めていた秋元長朝の屋敷跡である。そのため、長朝が総社へ加増・転封(1万石)で移った慶長6年あたりの創建と考えられる(詳細不明)。

清元寺 (2)
清元寺 (3)
本堂屋根には「三つ柏」と「五七桐」の家紋がある。

清元寺 (4)
清元寺 (5)
清元寺 (6)
山門前の六地蔵と境内の石仏。

秋元長朝は北条氏に仕えていたが、豊臣秀吉の小田原攻めの後、井伊直政の推挙で徳川家臣となり、当地(2000石)を与えられている。その後、長朝は関ヶ原の戦い後に上杉景勝に降伏を勧める使者として会津に赴き、景勝に降伏を受け入れさせた。この功績により、総社(前橋)に1万石を与えられて大名となっている。