前橋市粕川町女渕の御霊神社。

女渕御霊神社 (1)
女渕御霊神社 (2)
女渕御霊神社は元慶年間(877~85年)に、当地の豪族・南渕秋郷が勧請したといわれる。南渕秋郷は住民から慕われ「御南渕様」と呼ばれており、それが「おなぶち」と変化したのが、「女渕」の地名の始まりという(他説あり)。

女渕御霊神社 (3)
女渕御霊神社 (4)
天文年間(1532~55年)に長尾顕長の家臣・荒井図書允が再興したという。

長尾顕長は由良成繁の3男。足利長尾氏に婿入りし長尾氏を名乗る。ただ、顕長の生まれは弘治2年(1556年)とされているので、「天文年間に家臣が再興」というのは、少し年代がズレているようだ。

女渕御霊神社 (5)
女渕御霊神社 (6)
女渕御霊神社 (7)
女渕御霊神社は女渕城の三の丸(跡)に位置している。当地に遷座したのは安政5年(1858年)。女渕城は天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻め時に廃城となっている。

女渕御霊神社 (8)
女渕御霊神社 (9)
女渕御霊神社 (10)
女渕御霊神社には太々神楽が伝わる。明治10年(1877年)に近戸神社(現大胡神社)から伝授された「里神楽」である。曲目は多くあるが、いずれも天下泰平、五穀豊穣を祈るものである。(神楽の写真は群馬県教育文化事業団HPより借用)