邑楽郡板倉町籾谷の光応山安勝寺。

安勝寺 (1)
安勝寺は昭和27年(1952年)に、光明山安楽寺と正応山最勝寺が合併してできた寺。

安楽寺は正長元年(1428年)僧・光尊の創建。最勝寺は承応年間(1652~54年)僧・光研の創建。

歴代住職の墓地にあった過去碑には光尊が初代(開基)と記されていたので、寺名は安勝寺になっているが安楽寺の寺歴を引き継いでいるらしい。

安勝寺 (2)
安勝寺 (3)
安楽寺は慶応元年(1865年)に火災により堂宇を焼失。火災後、無住となっていた最勝寺の本堂と阿弥陀堂を安楽寺の境内に移築している。

安勝寺 (4)
安勝寺 (5)
最勝寺から移築された阿弥陀堂と阿弥陀如来木像。阿弥陀如来木像は寄木造りで、鎌倉から南北朝初期のものと推定される。群馬県内では数少ない「清涼寺式阿弥陀如来像」である。

「清涼寺式阿弥陀如来像」とは、髪の毛を縄を巻いたように表している如来像を一般的に言う。(何とか撮った写真では、まったく判別できない・・・)

安勝寺 (6)
安勝寺 (7)
梵鐘は宝暦4年(1754年)佐野の大河太郎兵衛と崎山五左衛門の鋳造。高さ99cm、口径76cmで、光明真言と仏具紋様が刻まれている。この仏具紋様の美術的価値が認められ、戦時中の供出を免れている。

安勝寺 (8)
安勝寺 (9)
安勝寺 (10)
通称「亀の子様」と呼ばれる金亀宝篋印塔。亀の上に宝篋印塔が乗せられている形になっている。

謂われは、寛文11年(1671年)に籾谷村の旱沼に光り輝く石亀が現れたたため、村人は八角形の大石で動けないようにした。その後、宝暦7年(1757年)の大雨の際に金色の光りを放ち石亀が再び動き出したため、光明真言を刻んだ宝篋印塔を石亀の上に置き、2度と動き出さないようにしたもの。

「亀の子様」にお祈りすると、百日咳に良く効くといわれている。