甘楽郡下仁田町の水戸天狗党戦死者の墓。

下仁田は幕末に尊王攘夷を唱える水戸天狗党と幕府の命を受けた高崎藩との間で、激しい戦闘が行われている。世に言う下仁田戦争(元治元年:1864年)。

下仁田戦争は水戸天狗党が勝利しているが、高崎藩戦死者36名、天狗党死者4名。水戸天狗党の死者4名は、下仁田町内に葬られている(3ヶ所)。

本誓寺 (1)
本誓寺 (2)
下仁田町下仁田の光明山本誓寺。本誓寺には水戸天狗党・久保田藤吉、斎藤仲次の墓がある。

久保田藤吉・斎藤仲次の墓
久保田藤吉、斎藤仲次の墓。
下仁田戦争の中でも安導寺の戦いは激戦地の一つであり、この戦いで両名は戦死している。

野村丑之助の墓
同じく下仁田町下仁田にある野村丑之助の墓。
野村は右手を切り落とされる重傷を負ったことから、足手まといになることを潔しとせず切腹して果てている。なんと、僅か13歳。野村の死は下仁田戦争の悲話として語り継がれている。

義烈照千古の碑
野村の墓の傍らには「義烈千古を照らす」の碑が建つ。碑は昭和16年(1941年)下仁田町旭町内有志が募金を募り建立している。碑文は頭山満。頭山満は明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭、玄洋社の総帥。

大曽根繁蔵の墓
同じく下仁田町下仁田にある大曽根繁蔵の墓。
大曽根繁蔵は梅沢峠を見張っていたが、下小坂関口付近で高崎藩と遭遇、安導寺の戦いで戦死している。

里見家蔵 (1)
里見家蔵 (2)
高崎藩の本陣となった里見家の蔵。当時の弾痕が残る。

下仁田戦争は鎧・兜をつけ、槍・刀で白兵戦があった、最後の戦いといわれている。下仁田戦争から4年後、明治の世が訪れ近代国家としての歩みを進めていくことになる。

下仁田戦争関連
 「下仁田町ふるさとセンター歴史民俗資料館」(現、下仁田町歴史館)
 「下仁田戦争の碑 -義烈千秋の碑 & 維新之礎碑-