北群馬郡榛東村広馬場の医王山宮昌寺。

宮昌寺 (1)
宮昌寺は伝教大師(最澄)創建の船尾山坊のひとつ。養和元年(1181年)に千葉(平)常将により船尾山系が焼失した際、薬師如来がここの池に飛来したので、寺を建て祀ったのが始まりという。

関連
 「空から飛来した観音様 -矢落観音-
 「五重塔がある! -柳沢寺-
 「平(千葉)常将を祀る -常将神社-

当初は天台宗・真珠山医王寺といい、薬師信仰霊場として栄えたが、戦国期に荒廃。文禄2年(1593年)井伊直政が寺を再興。その後、寛永8年(1631年)に曹洞宗に改宗した際に、宮昌寺と改称している。

宮昌寺 (2)
門前にある「道元禅師と老典座の出会い」像。道元とは曹洞宗の開祖、典座は食事を作る係(僧)。

道元 「如何ぞ行者、人を使はざる」
    (なぜ若い者を使わないのか)
典座 「他は是れ吾にあらず」
    (自分が与えられた仕事を他人に任せては、自分の修行にならない)
道元 「天日且つ恁のごとく熱し、如何ぞ恁地にする」
    (炎天下でなぜそれほどなさるのか)
典座 「更に何れの時をか待たん」
    (今を外して一体いずれの時を待つのか)

中国で修行中の若き道元が、老典座の自己に対する厳しい修行態度に深く感銘を受けたという逸話(だそうだ)。

宮昌寺 (3)
宮昌寺 (4)
宮昌寺 (5)
宮昌寺 (6)
楼門(仁王門)は平成17年(2005年)の建立。

宮昌寺 (7)
通用門との表示があったが、旧山門かな。

宮昌寺 (8)
宮昌寺 (9)
本尊の釈迦如来を祀る。寺歴からすると薬師如来が本尊のような気もするが、戦国期荒廃した際寺宝は散逸したとされている。ちなみに、飛来した薬師如来像は行基作といわれる。

宮昌寺 (10)
本堂脇に六角堂がある。位牌堂と思われる。

宮昌寺 (11)
境内にある「穴薬師」。室町から江戸にかけての像立といわれる(時期が広いな)。丘の中腹にある洞穴内に祀られていたが、昭和57年(1982年)に境内に遷された。

ところで、道元の典座教訓像見て、仏教に詳しい訳ではないが「更に何れの時をか待たん」は真理だと思った。