甘楽郡甘楽町造石の長岡家の薬医門と四脚門。

長岡家の門 (1)
薬医門は切妻屋根の草葺きで、江戸時代初期の建築と推定される。門の両側には石塁の跡が残り、城構えの門のような形式をとっていたと考えられる。写真に見える石積みは、もちろん後世のもの。

長岡家の門 (2)
四脚門は薬医門の内側にあり、切妻屋根で現在は瓦が乗っている。扉は引戸式になっていたらしく、敷居に1本の溝が残っている。

四脚門は、小幡藩織田氏(織田信雄の4男・信良)が福島村に仮陣屋を構えてから(元和3年:1617年)小幡に陣屋を築くまでの間、長岡家が米・塩などの補給を行ったので、その返礼をして建てられたといわれる。そのため「織田の御馳走門」と呼ばれている。

長岡家は細川藤孝(幽斎)の長男・忠興とガラシャ(玉)の次男・興秋の末裔といわれている。細川輿秋は慶長10年(1605年)人質として江戸に向かう途中に出奔し、その後慶長19年(1614年)の大坂の冬の陣では豊臣方に加担したため、戦後忠興の命により切腹したといわれている。しかし興秋は長岡大学と名を改め、甘楽町造石に土着したという。

これを事実と仮定すると、なぜ造石に土着したかは、織田信雄が小幡を所領した(元和元年:1615年)からと思われる(織田家は元の主君)。さらに想像を巡らせると米・塩の返礼に門を建てたのも、長岡家当主が輿秋だったからではないか?

関連
 「組石造りの地蔵像 -法華経供養遺跡-
 「細川興秋の末裔・長尾家の供養施設 -弥勒寺-