伊勢崎市八斗島の稲荷神社。

八斗島稲荷神社 (1)
八斗島稲荷神社 (2)
八斗島稲荷神社は天正年間(1573~92年)に那波顕宗が奥州九戸戦争で討死後、境野主水吉澄・五十嵐無兵衛知徳の両人が、顕宗の遺志を奉じて創建したという。奥州九戸戦争が九戸政実の乱のことなら天正19年(1591年)。

八斗島稲荷神社 (3)
八斗島稲荷神社 (4)
八斗島稲荷神社 (5)
八斗島稲荷神社 (6)
八斗島稲荷神社 (7)
社殿は安政2年(1855年)に再建。現在の本殿は明治43年(1910年)に八郎神社から60円で買ったもの。前年の明治42年(1854年)に八郎神社が豊武神社に合祀されたため。

本殿には立派な彫刻が施されている。この本殿を持っていた八郎神社を合祀により廃棄してしまったんだね。ちなみに八郎神社は、昭和43年(1968年)に分祀され、福島町に鎮座している(「群馬八郎満胤がご祭神 -八郎神社-」参照)。

八斗島稲荷神社 (8)
八斗島稲荷神社 (9)
社殿裏にはたくさんのお狐様が奉納されている。

八斗島稲荷神社 (10)
参道脇に力石があった。1番右の力石は75貫目(約281kg)で、吉野円三という船大工が境内で担いで三間(約5.4m)歩いたという。真ん中は45貫目(約161kg)で、5人の力持ちが交代で神社の周囲を担ぎ歩いたという。

ところで、由緒で那波顕宗が奥州九戸戦争で討死したと書いたが(境内の由緒碑)初耳だ。顕宗は天正18年(1590年)の仙北一揆で討死が通説(だと思う)。那波氏は顕宗の討死で断絶したというのも通説(だと思う)。