館林市高根町の妙高山龍興寺。

龍興寺 (1)
龍興寺 (2)
龍興寺 (3)
龍興寺の由緒は不明だが、天正年間までは高根寺と称していたと考えられる(北条氏邦が出した天正12年(1584年)の虎印制札に高根寺とあるため)。

榊原康政の家老・原田種政が中興開基したとの謂れもあるので、龍興寺となったのは、康政が館林に入った天正18年(1590年)以降と思われる。

龍興寺 (4)
参道脇にある五輪塔。非常に立派な五輪塔である。中興開基の原田種政の墓(五輪塔)があるということだったので、これが原田種政の墓ではないかと勝手に推定。

原田種政は九州肥前の豪族・原田種高の三男で、種高の死後徳川家康に仕える。天正10年(1582年)の徳川家と北条家の合戦の際に功名をあげ、榊原康政が家康に頼み家臣にもらい受け、家老として重用したといわれる。寛永5年(1628年)に73歳で没している。

龍興寺 (5)
境内にある館林市多々良地区の戦没者供養塔「英霊之碑」。館林市には戦没者を祀る施設が多い。祖国のために散った英霊をお祀りすることは当然であり、また素晴らしいことである。