甘楽郡甘楽町天引の友月山向陽寺。

向陽寺 (1)
向陽寺は天長年間(824~34年)の創建と伝わる。当時は字入木屋にあり真言宗だったが、当地が戦国期に武田氏の勢力下に入ると、信玄の家臣・望月三郎が現在地に遷し曹洞宗に改宗したという。

望月三郎は望月信雅と推定され、移転・改宗時に信雅が開基、その子が出家し荘山道厳和尚として開山になったという。荘山道厳和尚は武田信繁(信玄の弟)の実子で、望月家に養子として来ていたといわれるが、この辺は真偽不明である。

向陽寺 (2)
本堂などは正徳3年(1713年)火災で焼失、同4年(1714年)再建。現在の本堂の詳細は不明。

向陽寺 (3)
参道の「可愛い系」の六地蔵。普通の(と言うのも変だが)六地蔵もあった。

向陽寺 (4)
参道脇には檀家の方々が奉納した石仏が並ぶ。

向陽寺 (5)
開創450年記念の地蔵菩薩。

「向陽寺開創450年記念 地蔵菩薩建立記念碑」(平成17年春彼岸)があったので、単純に逆算すると開創は1555年頃となる。年号で言うと天文から弘治あたり。先に書いた現在地に移転した時を開創としているようだ(年代的辻褄は合う)。

向陽寺 (6)
無事帰るからの交通安全以外にも、お金が返る、貸した物が返るなどの祈願もある福カエル祈願。

豊臣秀吉の小田原攻めの中、国峰城落城時(天正18年:1590年)に向陽寺僧・伝州は国峰城を守っていた小幡信秀(城主・小幡信貞の養嗣子)を寺僧として匿ったといわれる。後に信秀が旗本として取り立てられた際、知行地(安中市野殿)に寺を創建して伝州を迎えたという。