甘楽郡甘楽町金井の歓喜山宝勝寺。

宝勝寺 (1)
宝勝寺 (2)
宝勝寺の縁起を記した「宝勝寺起立文書」という古文書が甘楽町の重文になっているが、調べてもその内容が分からなかった。ということで、宝勝寺の由緒は分からない。

宝勝寺 (3)
宝勝寺 (4)
本堂は平成18年(2006年)の改築。

宝勝寺 (5)
室町時代の特徴を持つ地蔵菩薩石像と薬師如来石像。
ともに天引石製で地蔵菩薩は58cm、薬師如来は60cm。天引石は砂岩のため、風化がかなり進んでいる。

石造は近隣にあった薬師堂に安置されていたが、薬師堂が焼失し野ざらしになっていたため、昭和59年(1984年)に宝勝寺に遷座している。でも、野ざらしは変わらず。覆屋を作ってあげた方がいいと思う。

宝勝寺 (6)
鎌倉時代の文永5年(1268年)の銘がある板碑。
緑色片岩製で高さ136cm。全体の幅が広く、特に下幅が広い将棋形で、13世紀後半に甘楽地方を中心に造立された小幡型板碑と呼ばれている。

偈文と呼ばれる「経」の文字が刻まれている板碑は、群馬県内では本板碑だけで、全国的に見ても極めて少ない。

宝勝寺 (7)
室町時代の応永8年(1401年)銘の宝篋印塔。安山岩製で高さ約70cm。

宝勝寺 (8)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓。
元和元年(1615年)から小幡藩は織田信長2男・信雄の所領となっていたが、7代藩主・信邦の代に明和事件に連座し、信邦は蟄居、養嗣子・信浮は出羽高畑へ移封となった。

吉田玄番はその当時の家老職で、出羽移封時に責任をとって自決したと伝わる。(妻子共々越後に逃れたという伝承もあり)玄番自身の墓はないが、過去帳に法名が残されている。