渋川市石原の大島家墓地の石堂墓石。

大島家墓地の石堂墓石 (1)
大島家の墓地にある石堂墓石。これらは新田一門・義継の子孫と称する豪族・大島氏の墓である。

大島家墓地の石堂墓石 (2)
大島式部信忠、豪左衛門信吉、半左衛門信光、五郎左衛門信政の墓で、寛永20年(1643年)から延宝元年(1673年)までに造立されたもの。

4基とも2段の基礎、塔身、屋蓋、相輪の5石からなり、1.97m(信政墓石)から2.63m(信吉墓石)の総高がある。

大島氏は新田義継の2男・時継に始まるとされる。時継の曾孫・義政は新田義貞の鎌倉攻めの副将軍を務めている。その後は里見氏に仕え、渋川を地盤とする(里見氏の勢力範囲が渋川まで及んでいたため)。

戦国期には白井城主・長尾氏、その後は安中城主・井伊氏に仕えた。正保2年(1645年)井伊氏の三河西尾への移封に伴い帰農。

渋川市の解説板などでは「農民層の墓石としては規模も大きく造りも優秀」などと書いているが、寛永~延宝はまだ井伊氏に仕えていた時代から帰農直後なだけに、豪族の墓と捉えるのが正しい。