沼田市岡谷町の海野塚。

海野塚 (1)
海野塚は海野輝幸と幸貞父子の墓である。

北条氏から沼田城を奪った真田昌幸は、一族の海野輝幸に沼田城を守らせていた(輝幸の兄・幸光は岩櫃城代であった)。海野兄弟の重用を妬んだ者の「海野兄弟は北条と通じている」という讒言を信じた昌幸は、天正8年(1580年)弟の信尹(のぶただ)に命じて先ず幸光を討ち、輝幸にも追討をかけた。

海野塚 (2)
輝幸は「主家に二心無き証をたてん」と迦葉山を目指したが、真田勢の追撃を受け、嫡男・幸貞と「無益な殺生はこれまで」と刺し違えて自害したといわれている。父子は当地に葬られている。

海野氏は滋野三家のひとつ。滋野家は清和天皇の皇子・貞保親王の孫・善淵王が滋野姓を賜り臣籍降下したのが始りといわれる(諸説あり)。平安中期に滋野氏は三家に分かれ、それぞれ居住とする地名(海野、祢津、望月)をとって姓とした。

海野幸光・輝幸兄弟は海野幸義の3男・羽尾景幸の子であり、直系の血筋が絶えた後に海野家を継承したと称している。

ちなみに、海野家系から幸隆(昌幸の父)が出、真田郷を領して以後、真田姓を名乗ったとされる。真田氏からみると、海野氏は本家筋になる。(幸隆の出自も諸説あり)