伊勢崎市境伊与久の郷学五惇堂跡。

五惇堂跡
五惇堂は伊勢崎藩士子弟の教育を目的に、伊与久の儒者・宮崎有成らに
より享和3年(1803年)に伊勢崎藩領内で最初に開かれた郷学である。
後に一般開放され、広く庶民の教育向上に貢献した。

五惇堂では小学、孝経、三字経といった四書五経の素読が主で、他に
経典などの公開講釈、講習討論などの教育科目があった。

文化5年(1808年)藩認可の郷学となり、藩は堂地の年貢を免除し、
講師を派遣するなどの援助をしている。

五惇堂跡地には、五惇堂の教育指針を刻んだ「孝経碑」と、明治26年
(1893年)建立の「孝経碑副碑」が建つ。

郷学としては上野国で1番早い創建といわれる。また、五惇堂での庶民
教育は明治時代になって学制が発布されるまで行われた。