高崎市上小塙町の堰上山大森院方光寺。
2度に渡り紹介した高崎五万石騒動の大総代のひとりである小島文次郎の墓がある。
 「高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
 「高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓 -高崎・普門寺-

大森院 (1)
大森院 (2)
大森院は元亀2年(1571年)大森氏により創建された。大森氏のことはよく分からない。駿河国の土豪(北条早雲の前の小田原支配)?

大森院 (3)
大森院 (4)
東側には平成17年(2005年)に仁王門が建立された。内側には風神・雷神が鎮座している。

大森院 (5)
大森院 (6)
本堂は寛政7年(1796年)の建立。平成2年(1990年)に改修されている。鐘楼は平成11(1999年)の新築。

大森院 (7)
墓地の一角には涅槃廟と名付けられた納骨堂がある。

大森院 (8)
五万石騒動大総代のひとり小島文次郎の墓。

高井喜三郎、佐藤三喜蔵逮捕後、2人の釈放を求め新政府の岩鼻県庁(旧岩鼻代官所)に赴くが捕らえられて、明治3年(1870年)9月に処刑されている。享年46歳。

文次郎は幼少のころより和算、書画,謡曲、挿花、武芸を学び、他の大総代同様、選ばれるべくして選ばれている。

辞世は「人のため草葉の露と消ゆれども 名を後の世に残すうれしさ」

大森院 (9)
墓の隣にある供養碑。台座には一揆に加わった各村総代や関係者の名前が刻まれている。

なお、小島家には17点の傘連判状を含む計53点の資料が残されている。特に傘連判状は五万石騒動を象徴する資料として大変貴重なものである。