高崎市下中居町の東光山普門寺。
前回紹介した高崎五万石騒動の大総代のひとりである佐藤三喜蔵の墓がある。
(「高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓」参照)

高崎・普門寺 (1)
高崎・普門寺 (2)
高崎・普門寺 (3)
普門寺の由緒は分からなかった。

高崎・普門寺 (4)
高崎・普門寺 (5)
五万石騒動大総代のひとり佐藤三喜蔵の墓。

三喜蔵は温厚で誠実な人柄で、面倒見も良い人物であった。大総代のひとりに推されるのも当然の人物であったようだ。また、体格がよく田舎相撲の横綱と呼ばれていた。

高井喜三郎とともに処刑されたが、泰然自若として少しも恐れず刑場の露と消えた。享年52歳。その姿には、高崎藩士も涙したという。

辞世は「望みなき身は今日限りにちりぬるも 七度生まれてかなへてやみん」

なお、墓の碑には「三喜造」とあるが、いろいろ調べると「三喜蔵」との表記の方が多かったので「三喜蔵」とした。違っていたらすみません。