高崎市柴崎町の高井喜三郎の墓。
高井喜三郎は、高崎五万石騒動の大総代3人のひとり。

高井喜三郎の墓 (1)
高井喜三郎の墓。

高崎五万石騒動は、年貢の軽減を訴えた農民一揆。農民一揆と言っても江戸時代の出来事ではなく、実は明治に入ってから。当時の高崎藩は幕末の下仁田戦争(水戸天狗党との戦い)などの戦費がかさみ、農民に重税を課していた(米には70%以上)。

明治政府は「農商工布告」で、「苛政に苦しむものは申し出よ」と布告。高崎藩のお隣りの岩鼻県(岩鼻は江戸幕府の天領だったので県になっていた)では訴状を受け付けたが、高崎藩は布告自体を無視していた。

明治2年(1869年)、高井喜三郎、佐藤三喜蔵、小島文次郎の3人が大総代となり、高崎藩主(大河内輝聲)に直訴に及んだもの。直訴と言っても「要望書」を渡しただけ。まあ、高崎藩主からみれば「強訴」となるけど。

農民の要求は廃藩置県(明治4年:1871年)後に認められたが、大総代3人は明治3年(1870年)に斬首となっている。

百姓一揆というと過激な打ち壊しとかを想像しがちだが、極めて民主的に大総代を選出し整然と行動している。

高井喜三郎の墓 (2)
辞世は「吾人の為ともなれと身を捨てて いまいけにへとなりしうれしさ」。
享年42歳。