藤岡市下大塚の自天山源性寺。

源性寺 (1)
源性寺は慶長元年(1596年)松井與平衛宗直が、正室の菩提を弔うために創建したと伝わる。正室は依田信守の娘である。

ちなみに、藤岡市の天陽寺にある信守の墓は、正室の父である信守ではなく、その孫にあたる信守のもの。信守は関ヶ原の戦い、大坂の陣の功績により、徳川家康から祖父名・信守を名乗ることを許されている。(天陽寺は「藤岡市保美・龍冨山天陽寺」参照)

源性寺 (2)
源性寺 (3)
山門(仁王門)がど~んといった感じで構える。周りが空いているので存在感がある。仁王像をアップで撮ろうとしたが、アクリル板がはめられていて、反射して良く撮れなかった。

源性寺 (4)
飯塚臥龍斎興義という人物の顕彰碑があった。戸田越後守が始祖といわれる(諸説あり)気楽流(柔術を中心とした総合武術)の11代目で、中興の祖といわれている人物らしい。緑野郡下大塚村(源性寺がある地区)の出身。江戸時代後期の人。

源性寺 (5)
松井宗直の墓。
写真では分かりづらいが、かなり大きな五輪塔型。まだ新しいが、実はこの中に墓が保存も兼ねて納められている。

松井氏は源為義の子・惟義(松井冠者)を祖とする。宗直は惟義から数えて15代目という。今川氏、武田氏に仕えた後、天正13年(1585年)ころには徳川氏に仕えている。

宗直の本墓は藤岡市の光徳寺にあるようなので、また行ってみるかな。光徳寺は芦田氏の菩提寺で、関孝和の墓もある。
 「藤岡市藤岡・龍田山光徳寺
 「算聖 関孝和の墓・龍田山光徳寺 その2