高崎市中室田町大久保の岩井堂。

岩井堂の石幢 (1)
岩井堂は永禄年間(1558~70年)石井讃岐守の発願で、長年寺7世・天産受蓮を招いて開創。上野国観音霊場の第22番札所になっている。

ちなみに石井讃岐守(石井信房)は里見義堯と長野業政の娘との間の子。業政の養子になったとされる。当時は室田鷹留城主で、永禄9年(1566年)の箕輪城落城時、鷹留城も落城。石井讃岐守も討死したとされる(諸説有り)。

岩井堂の石幢 (2)
お堂は後ろの崖をえぐるように建っており、平成5年(1993年)に改修されている。中を覗いてみたけど、観音様は見えなかった。改修の際、仏像や墨書された板などが多数確認され、特に秩父34霊場に関わる観音像が8体発見されている。当時は34体あったと思われる。

岩井堂の石幢 (3)
お堂の石段下には石幢があり、竿石には文明4年(1472年)の銘がある。残念ながら龕部は失われているが、輪廻車のはめ込まれていた穴は残っている。高崎市の重文に指定されている。

岩井堂の創建と石幢の造立年が合わないことから、岩井堂自体の開創がもっと古い可能性もある。