安中市西上秋間の飽馬神社。

飽馬神社 (1)
飽馬神社の創建は不明だが、平安時代に編纂された「上野国神名帳」に「従三位飽馬明神」と記される古社である。

飽馬神社 (2)
飽馬神社 (3)
飽馬神社 (4)
飽馬神社 (5)
鎌倉時代には飽馬太郎(地元の御家人?)ら、武門の崇敬が厚かったという。南北朝期に一時衰退したが、室町期初期に再建されている。

扁額の銘が「源希典」とある。乃木希典大将のことだが、出雲源氏・佐々木氏の末裔を称していたから。

飽馬神社 (6)
神楽殿では昭和10年(1935年)頃まで、鷺宮の太々神楽を招き春祭に奉納していた。

飽馬は「秋間」の地名の元であるが、そこには日本武尊にまつわる伝説がある。日本武尊が東征のおり乗馬に飽きて、この地で休憩したことから「飽馬」と呼ばれるようになったという。また、飽馬神社も日本武尊が伊勢神宮から勧請したともいう。