安中市安中(2丁目)の洞谷山龍昌寺。
以前訪問済みだが(「和合の鐘 -龍昌寺-」)、龍昌寺には儒学者・山田三川の墓がある。

山田三川の墓
山田三川(1804~62年)は安中藩の儒学者。三川は号で、名は飛、諱は戴飛である。出身は伊勢国三重郡平尾村だが、江戸に出て昌平坂学問所で学ぶ。松前藩に召し抱えられるが、職を辞し下総国に隠蔽。

その後、徳川斉昭の紹介で嘉永5年(1852年)から安中藩に仕えている。嘉永5年は、ペリーが浦賀に来航する前年である。

三川は郷学校「桃渓書院」設立や藩校「造士館」で経済学・詩文・吏事などを教え、安中藩の教育向上に貢献した。

ちなみに、三川の使えた板倉勝明は安政遠足(あんせいとおあし)を行ったことで有名。