渋川市赤城町津久田の長寿山福増寺。

福増寺 (1)
福増寺の創建は暦応3年(1338年)と伝わる。その後、正保4年(1647年)に狩野甚左衛門が隠居していた雙林寺14世・雲峯闇悦(うんぽうぎんえつ)を招いて中興開基・開山、現在地に堂宇を整備している。

福増寺 (2)
福増寺 (3)
福増寺 (4)
福増寺 (5)
山門には凛々しい仁王像が鎮座している。

福増寺 (6)
参道脇の子育て地蔵尊。子どもの頭痛・腹痛等の病気の快癒、学業・稽古事などの増進向上に効験があるとして、広く信仰を集めているという。

福増寺 (13)
三体の金剛仏は、坂東、秩父、西国の札所総巡礼の観音様。

福増寺 (7)
福増寺 (8)
本堂左側には「非思量庭 -えもいわれぬ◯◯◯のお庭-」がある。子持山を借景に緑豊かな苔地と大海を表す白砂に自然の景石が配置される枯山水風の庭園。京都の庭師・北山安夫氏の作庭。

◯◯◯の中に各自感じるままに言葉を入れて、名前をつけて鑑賞してくださいとのこと。うぅ~ん、凡人にはすぐに思いつかない・・・。

福増寺 (9)
「埋憂庭(まいゆうてい) -まんまる月のお庭-」と名付けられている前庭。憂いや悩みを平らな黒土の中に埋め、少しでも気分を楽にして前を向いて頑張って欲しいと願って作られた。

福増寺 (10)
福増寺 (11)
梵鐘は戦争中に供出して以来なかったが、昭和48年(1973年)に戦艦陸奥の部材を使用し鋳造された。

福増寺 (12)
戦艦陸奥の乗組員であった篠原さんが揮毫した碑が、今年(2016年)建立されている。

戦艦陸奥は昭和18年(1943年)に山口県沖で爆発・沈没。昭和43年(1970年)から引き揚げ作業が行われ、改修された部材は博物館に展示されている他、各地で再利用されている。

同様に戦艦陸奥の部材(羅針盤)が鋳造されている梵鐘は、南牧村の不動寺にもある。
(「荒船・妙義山岳信仰 -黒瀧山不動寺-」参照)