安中市下秋間の熊峯山桂昌寺。

桂昌寺 (1)
桂昌寺 (2)
桂昌寺は永正10年(1513年)安中忠親の開基、天陰玄鎖の開山による創建と伝わる。桂昌寺は桂昌院といったが、徳川5代将軍・綱吉の生母が桂昌院と名乗ったことから桂昌寺に改めている。(と言うか、改めさせられた)

桂昌寺 (3)
桂昌寺 (4)
金色に光り輝く本堂屋根の鴟尾が眩しい(笑)。

桂昌寺 (5)
桂昌寺 (6)
2代安中藩主・井伊直好の正室・長生院の菩提を弔うために、寛文3年(1663年)に鋳造された鐘。鐘の音の響きが悪くなったので、嘉永3年(1850年)に高崎の鋳物師・小林弥兵衛によって鋳直されている。歴史的意味合いや美術的価値が評価され、戦時中の供出を免れている。

桂昌寺 (7)
安中忠親の墓。
忠親は榎下城を築いた安中忠清の父親である(兄という説もある)。

墓石の右側面には「後嵯峨院第一皇子宗尊親王八代後胤」とある。ちなみに、宗尊親王は鎌倉幕府6代将軍であり、初の皇族将軍である。
(安中氏、安中忠清は「安中忠清の墓 -安中・久昌寺-」参照)

桂昌寺 (8)
井伊直好の正室・長生院の墓。
長生院は酒井忠勝の娘である。忠勝は2代川越藩主で、初代厩橋藩主・重忠の弟。重忠の家系は有名な雅楽頭酒井家の宗家。

井伊直好は正保2年(1645年)に三河西尾に移封されているので、長生院の菩提を弔う鐘が鋳造されたのは水野家の藩主時代になる。