富岡市七日市の蛇宮山金剛院慈眼寺。

金剛院 (1)
金剛院 (2)
金剛院 (3)
金剛院は七日市藩前田家の崇敬社である蛇宮神社の別当寺として明応元年(1492年)慈眼上人の開山。

金剛院 (4)
参道にある名号塔。「南無阿弥陀仏」と刻まれている。元禄4年(1691年)の建立で、県内でも最古の名号塔。明治44年(1911年)に七日市の観音堂から金剛院に移されたもの。

金剛院 (5)
境内にある「極楽浄土池」。浄土橋の向こう側に阿弥陀如来を中心に、勢至観音と観音菩薩。橋の手前には9つの蓮があしらわれている。

金剛院 (6)
金剛院 (7)
境内の「水かけ不動尊」と「愛で地蔵」「なかよし地蔵」。余り広くない境内にいろいろある。

金剛院 (8)
稲部市五郎種昌の墓。
種昌は江戸時代末の文政11年(1828年)に発生したシーボルト事件に連座し、幕府から七日市藩に永牢を申し付けられ、天保11年(1840年)に獄死している。

シーボルト事件とは、オランダ商館付きの医師・シーボルトが帰国直前、所持品の中に国外持ち出し禁止の日本地図が見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか数十名が処分された事件。

種昌はオランダ語の通訳で、景保から預かった日本地図をシーボルトのもとに運んだとされる。稲部は荷物の中身を知らなかったとされるが、永牢という厳罰となった。

当時の七日市藩主・前田利和(としよし)が密かに金剛院に葬った。罪人を弔うことは許されない時代であったが、藩主自らが禁を破ったことになる。それは種昌が蘭学(特に薬や医術)の知識を持っており、七日市藩医に獄中から伝授することで、藩内医学向上に貢献したからとされる。