桐生市黒保根町上田沢の涌丸山医光寺その2。
医光寺には江戸時代末の剣法家・楳本法神の墓がある。

楳本法神の墓
本堂裏の歴代住職のお墓に並び建っている楳本(うめもと)法神の墓。楳本法神は加賀国に生まれ、長じて上泉信綱に師事した武芸者。後に法神流の剣祖となり諸国をめぐり、多くの剣士を育てている。

文政13年(1830年)、門人青山雅楽之助なる家にて客死。享年168と伝わる。大正8年(1919年)に医光寺に移骨されたが、昭和47年(1972年)に埋骨、墓碑が建立されている。

これは主に現地に設置されていた旧黒保根村教育委員会の解説版による。しかし上泉信綱は戦国時代の武将であり、時代がまったく合わない。どこから引っ張ってきたのだろうか??

上泉信綱に師事しようと思ったら、法神は300歳くらい生きていないといけなくなる(苦笑)。江戸末と戦国期の人物を結び付けてしまう何か深い意味がある?

法神は生地、生い立ち、経歴もなどを口外しなかったため、他の人物と混同され168歳などという年齢が伝わっていると考えられる。特に、藤井右門(江戸中期の尊王論者、後に幕府により処断された)が幕府から逃れ上州に隠れ住んでいると誤って伝えられたことが、法神のことと誤解された可能性がある。

とは言え、その経歴が不詳であったとしても、法神が秀でた武芸者であったことは、もちろん否定されることではない。