伊勢崎市太田町の五郎神社。

上樹神社 (1)
五郎神社の創建は不詳だが、広瀬川が利根川の本流だった頃、流れてきた1本の朱塗りの矢を拾った者の夢枕に狩姿の片目の武将が立ち、「自分は鎌倉権五郎だ。その矢は自分の仮の姿なので大切に祀れ」と言われ、祀ったのが始まりといわれる。

鎌倉権五郎とは、平安時代後期の武将・鎌倉景正のことである。源義家の家来として後三年の役(1083~87年)に従軍し、右目を射られながらも奮戦したといわれる。

ちなみに、利根川は応永34年(1427年)の大洪水で変流した説が有力である。なので、五郎神社の創建はそれ以前か?

上樹神社 (2)
上樹神社 (3)
社殿は延宝9年(1681年)に前橋藩主・酒井忠清の次男・忠寛が伊勢崎藩として2万石を分与された際に整備している。この時が五郎神社の創建という説もある。現在の社殿は平成9年(1997年)の再建。

ところで、鎌倉景正の曾孫が大庭景親と梶原景時といわれる。治承4年(1180年)源頼朝が挙兵した際の石橋山の戦いでは、平家方として頼朝軍を打ち破っている。大庭氏、梶原氏とも源氏方であったが、平治の乱で源氏が没落した後は平家に従っていた。

しかし、山中の探索の際に梶原景時が洞窟に隠れていた頼朝をわざと見逃した説話は有名。頼朝再起後、梶原景時は御家人に列し、大庭景親は捕えられて斬られている。