北群馬郡榛東村広馬場の有栖川宮神社。
前回の黒髪山神社の境内社である。
(「相馬山信仰 -黒髪山神社-」参照)

有栖川宮神社 (1)
有栖川宮神社 (2)
有栖川宮神社は、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の病気に対して黒髪山神社への平癒祈願や神道家・南和十郎の貢献などから、熾仁親王没後の明治30年(1897年)黒髪山神社境内社として創建された。

有栖川宮神社 (3)
有栖川宮神社 (4)
有栖川宮神社 (5)
こじんまりした社殿。木漏れ日がまぶしかった。南和十郎が明治政府から拝領した冠、御歌が同神社の宝物となっている。

有栖川宮家は寛永2年(1625年)に後陽成天皇の第7皇子・好仁親王が高松宮家を創設したことに始まる。3代・幸仁親王の寛文12年(1672年)に宮号を有栖川宮へ変更された。

熾仁親王は第9代当主である。熾仁親王は仁孝天皇第6皇女・和宮内親王の婚約者であった。ご存知の通り、和宮は徳川家の要請を受け公武合体の象徴として徳川14代将軍・家茂へ降嫁している。そのため、悲恋の親王などと呼ばれることもある。

しかし政治・軍事において、様々な経歴を誇っている。幕末には親長州、尊王攘夷の立場から孝明天皇に松平容保の洛外追放を迫っている。これは孝明天皇が攘夷思想を嫌悪していたため、実現していないが。

また、明治新政府では総裁に就任し、戊辰戦争では東征大総督として江戸に下っている。その後も兵部卿や福岡県令などを歴任し、明治9年(1876年)には元老院議長に就任している。

明治28年(1895年)61歳で薨去された。